日本の医療体制の問題点と改革の方向(財界研究所 季刊「監事」)日本の医療体制の問題点と改革の方向(財界研究所 季刊「監事」)
2021−3月号:コロナ禍で日本の医療体制はなぜ容易に崩壊するのか?

1)初めに

まず、コロナ患者に対し日夜苦闘している医療従事者に対し、感謝の意を表したい。それとともに、現在のコロナ禍に対する問題点を分析することで、日本の医療体制に内在する問題点を見出し、コロナ禍後の医療体制の改善・向上に資することを願って、本稿を世に問うものである。
また、医療制度の問題点は、一般企業、ビジネス界に共通する問題点でもある。参考になることを願うものである。

2)利権グループの支配が最大の問題点

コロナ禍で、多くのものが疑問に思うのは、「患者数、死者は欧米より一桁少ないし、ことに死者数はアメリカより二けた少ないのに、なぜ医療崩壊が起こるのか?」であろう。
感染症対策は、鳥や動物では簡単である。発生が確認できれば、個体の流入を止めて、感染のある地域の鳥や動物を一気に殺処分すればよい。これがベストである。ところが人間の場合は、殺処分ができない。となれば、国境ないし地域を閉鎖し、可能性のある人たちに即急に検査して感染者を隔離し、状態に応じた的確な治療を施す。そして、治療を効果にするには、医療機器と専門家を集中して、治療をする。病院は通常の治療行為をしなければならないので、患者が増えれば、治療は専門病棟を用意する。これがベストのはずである。
ところが、日本ではこれができない。それはなぜだろうか。その最大の理由は、既存の利権クループが支配し、利権が侵害されるのを防ごうとしているからである。
第一の利権は、国立感染症研究所、厚労省を核とした学者・医師、族議員、製薬業界、医療機器業界のグループにある。この利権の最前線は保健所であり、事実上この利権グループが保健所の人事権を握っている。そして、データを独占することで、公的研究費、民間企業からの研究費の独占、天下り先の確保、許認可の独占など、利権の規模は大きい。
それゆえ,PCR検査は、保健所がどんなに業務が殺到しても、保健所が関与しない検査は排除する。民間企業が低料金検査を提供するようにしても、それを取り込み、検査不足を補うこととは絶対しない。保険所が何らかの形で関与しないと困るのだ。
第二の利権は、医療機関を核とする民間側にある。医師会を核に、族議員、製薬業界、医
療機器業界などにより構築されたグループにある。このグループは、医療体制を現状に固定することで既得権を守ろうとする。要するに、とにかく「改革」が嫌なのだ。
その結果、日本は、再編等の改革を嫌悪するため、200ベッド以下の中小病院が中心である。病院は過多であり、その数は世界最高レベル、ベッド数は世界最多であるが、その中で急性期病床も多く、人口比で米国の3.2倍、フランスの2.5倍、ドイツの1.3倍もある。ところが、中小病院では設置が困難なICUは少なく、人口比で、米国の5分の1、ドイツの4分の1ほどしかく、専門スタッフも少ない。
人的資源といえば、看護師数はOECD加盟国35国中9位でまあまあであるが、医師数は、OECD加盟国35国中30位であり、少ない。ICUのような高度医療システムとなると、設置数だけでなく専門スタッフも貧弱である。コロナで有名になったエクモとなると、数こそ1400台位あるようだが、元々その運用は、1施設当たり年間2〜3件と驚くほど低調で、運用できる専門スタッフも乏しかったのだ。
要するに、日本は一般的な医療体制はそれなりに充実しているが、高度医療となると、その体制は貧弱なままなのだ。
さらに、システム・ネットワーク面となると、暗澹となる。現在、先進国の医療施設は、 複数の病院やクリニック、医療機関を1つのデータベースシステムでサポートし、グループ病院の情報を一元管理できるような広域ネットワーク体制により効率よく運用している。シンガポールなどは、国全体が統一されたネットワークで運用されている。ところが、日本の場合、いまだ電子カルテさえ導入されていない医療機関も残っている。電子カルテは導入しても、これが、会計、財務、備品管理などと統合されていないものが多く、ましてや、複数の病院やクリニック、医療機関のネットワークによる統合など、「夢のまた夢」である。まさに、1980年代レベルで停滞しており、役所の後進ぶりと「どっこいどっこい」である。
それゆえ、一般病院がコロナ患者を受け入れれば、医療崩壊が容易に起きてしまうのだ。

3)なぜ、利権グループを克服できないのか?

既存勢力による利権の成立は、日本に限らず、いつでも、どこでも成立する。医療分野だけでもない。Uberが日本進出を図ったときに、タクシー業界と国交省が一体となって追い出したことを思いだせば、明らかであろう。
とはいえ、医療分野は保険収入が中心なので価格競争が生じず、新陳代謝できずに硬直化しやすい。医師や看護師は資格があるので、そこが気に入らねば転職するだけで、内部からの改革エネルギーも発生しにくい。さらに、各地の医師会が、現状維持の拠点となり、既得権確保の拠点になりやすいのだ。昔からの族議員の層も厚い。
さて、この利権グループを克服する方法といえば、理論的には簡単である。利権のテリトリーの外に、新たなチャンネルを作ればいいのである。コロナの場合であれば、保健所という利権の最前線のほかに、検査により患者を探し出し、その患者を適切な医療機関等に収容させられる機関を新たに構築することと、政府や自治体により、従来の病棟とは別個のコロナ専門病棟を構築すればよいのである。とはいえこの時、人工呼吸器、エクモなどを使う重傷者の診療施設の確保と、専門医療スタッフを用意することが重要となる。日本の医療では、専門スタッフが少ないので、即効的な養成システムの構築も必要である。大変な作業が予想され、新たなチャンネルの役割は多様で広範囲である。
ただ、これは、「言うは易く、行うは難し」の典型である。これを実行しようとすると、既得権グループの非協力、妨害は激しいはずである。また、従来の官僚の支配体制に挑戦するものなので、直接に利権が絡まっていない官僚も非協力となるはずだ。与党内の族議員の抵抗も執拗であろう。
このような新しいチャンネルを構築するためには、既得権を打破し、新たな医療体制を新たに構築する強力なリーダーシップが必要だ。ところが、そのリーダーが、日本社会では見出すことが困難なのだ。

4)なぜ、利権を打破できる人材がいないのか?

利権を打破するには、以上の通り、新たなチャンネルが必要であり、それを率いる強力なリーダーシップが必要だ。これらの難作業をまとめ上げて遂行し、成果を上げられる有能な指揮者を抜擢することが必須である。これには、与党内の政治家では間に合わないであろう。仮に、能力があっても、政治家や官僚では、利権グループとの「しがらみ」を脱することが困難なはずだ。足枷となる「しがらみ」がなく、かつ、医療体制に精通しているものの中から、強力なリーダーシップ能力を持つものを抜擢することが、必須である。
ところが、日本は、そのような者の層が極端に少ない。なぜならば、まず、年功序列社会が問題である。年功序列は、「優秀なものがその能力を評価されて、社会の上層部に送り出だされる事」があってはならないという社会システムだ。したがって、日本社会は、平均的能力の人材は豊富だが、いざ危機!となったときに、頼るべきリーダーが用意されていないのだ。
また、日本人社会は集団主義であり、人は集団の属性で評価される。医療関係でも、どこの大学の誰の系統かが重視されている。ここでは、能力あるものが評価されにくいだけでなく、「しがらみ」なく行動できる者を探すことが困難なのだ。
コロナ対策での成功国とされる台湾の陳時中・衛生福利部長(衛生相)は、民間から抜擢され、指揮官として国を成功に導いた。そのリーダーシップ力は称賛に値するが、このような人材が日本には乏しいのだ。
トランプ大統領は気に入らないと閣僚を罷免したが、その都度、あの大国の閣僚として仕事ができる能力のある人材を引っ張ってこられた。あのような人材の豊かさが日本にはないのだ。
かって日産が倒産の危機に直面した時、ルノーからゴーン氏を招請し再建に成功したが、これも、しがらみ」のない外国人であることがポイントであった(もっとも、長く権力の座にあったため、別の問題を招来したことは周知のとおりである)。
しかし、日本人にはいないのかといえば、そうでもない。成功例がある。JALが倒産し会社更生法が適用されたとき、京セラの稲盛和夫氏が招請されたあれだ。探せば必ず見出せるはずだ。

5)英雄か、不満のターゲットか?

日本ではだれも問題にしないが、欧米では常識中の常識となっているものがある。それは、「結果は同じでも、トップリーダ―が英雄となるか、不満のターゲットのなるかの分かれ道がある」ということだ。
その鍵はリーダーの発信力である。危機に直面した時、国民に語りかけて、今の状況を説明し、自分はどう考え、どうしたいかを説明し、国民に協力を求めて不安を解消させる。これができれば、英雄になる。逆に、これを怠ると、英雄になれないだけでなく、不満のターゲットとなるというのだ。
欧米のリーダーは、これを知っているから。どのリーダーも国民に発信するし、その努力をする。日本の首相は、この常識がない。また、政治家が頼る官僚は、明治時代から、「民」には徹底的に情報を隠す。その結果、安部首相も不満のターゲットとなったが、ことに発信力がない菅首相は、まともに不満のターゲットとなって、支持率が急落した。
その結果、日本人は、奇妙な経験をする。このコロナ禍の中で、イギリスのジョンソン首相、マコロン仏首相、メエルケル首相らが国民に訴える映像はTV等で、毎日目にするが、日本の首相が日本国民に訴えかける映像は皆無である。せっかく首相が記者会見をし、その映像が国民にライブで配信されているというのに、国民に向かって訴えかけることができないのだ。
もう一つ、典型的な例を出そう。それは、福島原発の菅首相である。菅首相は、海外では評価が高い。あのメルトダウン寸前の原発から日本と日本国民を救ったリーダーとしてだ。ところが、国内の評価は極めて低い。なぜならば、あの危機の時、ヨーロッパのリーダーであれば、毎日国民に対して、その時の最新に情報を提供しながら、「今政府は何をしているか、それでもなかなかうまくいかないが、このように努力しているので、安心してくれ」と語りかけたであろう。それを怠ると、英雄になれないどころか、国民の不満のターゲットとなってしまうことを、よく知っているからだ。ところが、大変な苦労をしたはずの菅首相は、国民に訴えることを怠ったので、英雄になりそこなったのだ。
これに対しては、口先のうまい政治家だけが評価されるのではないか、という批判がでるかもしれない。確かに、政治家が皆、演説力があるわけではない。しかし、訴える力がないと、不満のターゲットとなるので、皆真剣に努力する。
古い例だが、第二次大戦で英国を勝利に導いたチャーチルは、もともとドモリがあり、演説が苦手だった。しかし、彼は、毎日、自分の姿を鏡に映しながら、演説の練習をしたという。オバマ大統領でさえ、常々、演説の練習をしていたとのことだ。
とはいえ、日本でもいい兆候はある。コロナ禍の中で、東京都、大阪府、北海道、神奈川県など、知事の発信力は評価できる。彼らは、不満のターゲットにはならないはずだ。
以上の話から、新たなチャンネルを構築し、既得権を打破するための必須の方法が、浮かび上がってくるはずだ。それは、国民の理解と、国民の支援が最も強力な援軍となるのであり、首相や新たなチャンネルのリーダーは、常に発信することが必要なのだ。
この論理は、企業社会でのリーダーシップとしても、参考になるはずだ。

6)マスコミも利権グループ

実は政府自体が、利権グループの核を構成しているのだ。官僚、番記者・記者クラブというマスコミ、議員、支持団体、そして経済団体に取り囲まれ、一種の利権を構成している。
ここでは、ことにTV、日刊紙というマスコミがガンである。ここには「番記者」という日本特有なものがあり、普段から担当政治家と親密につきあい、情報リークを待つ。その代わり、不利益情報は書かない。また、記者クラブもガンである。日本ではここはギルド化しており、政府が発表した情報を独占して書く。これでは、マスコミは、利権に反する記事は書けないこととなる。
ワイドショウでキャスターが、「なぜPCR検査が増えないのでしょうか」と嘆いて見せるが、それから一歩出て、「国立感染研の利権が問題だ」とは絶対に口にしないのは、ここから来るのだ。
諸外国の記者は、政治家とは適度な距離を置く。そうしないと、書くべきものを書けなくなるからだ。記者クラブは、単に親睦団体であり、情報をここに頼らない。要するに、彼らにとって報道はどこまでも、「調査報道」なのだ。情報のリークを待つことはない。
マスコミは、自分たちの頭越しに首相が国民に訴えかけることも嫌う。首相も、記者会見なら時間、質問、参加者を制限ができるので安心であり、発表はこれに頼る。
これでは、首相は国民と直接対話できないし、国民の支持と理解を得ることはできない。その結果、英雄になれず、国民の不満のターゲットになってしまう。また、マスコミも、改革の原動力となるはずの役割も果たせないのだ。

7)病院の大再編は「営業の自由」を侵害しないのか?

今世界では、医療機器と医薬品の開発競争は激しい。医療機器は、AIやロボット技術などを駆使して、高度化、かつ多様化している。ところが、その最新鋭の機器が日本にはほとんど来ない。なぜならば、それを導入できる医療機関が無いからだ。
世界には、4000床を超える巨大病院が、中核病院の中の中核病院として存在する。なぜ、このように巨大化するかといえば、最新鋭の医療機器を導入するには、この程度の規模が必要なのだ。さらに、導入した機器をフル稼働させないと投資資金が回収できないので、患者を確保する必要がある。その結果、国の内外から、広く医療ツアーを受け入れるような努力をしている。
日本は1000床を超えれば最大級であり、この規模では、最新鋭の機器を次から次へと導入するには限界がある。地域の中核病院は400床から600床くらいが一般だが、この規模となると、最新鋭の機器となれば、機器の共同利用など、広域の連携が必要なはずである。ところが、そのような連携の動きは乏しい。
日本の病院の多数派である100床、200床レベルの中小病院では、病院であればCTくらいないといけないと導入する。その結果、人口比でのCTの数は断トツの世界一で、2のオーストラリアの2倍近く、アメリカの2倍越え、ドイツの役3倍となっている。これは、どう見ても無駄に持っているといえよう。そして、CT導入の結果、他の新鋭機器は導入する余力がないということとなる。
病院数が世界多数級レベルの日本は、従来から医療費が効率的につかわれていないという弊害が指摘されている。しかしそれだけでなく、規模が全体的に小さく、ことに中小病院乱立では、国民は、平均的医療は受けられても、最新鋭の機器の恩恵は受けられないこととなるのだ。
このように見れば、今の医療業界では、病院の集中・再編が直近の課題である。とはいえ、前述の通り、医療業界の自己変革能力は極めて乏しい。そのためには、外からの強力な働きかけが必要である。
国レベルで、厚労省の外に再編用の新たなチャンネルとして担当大臣を置き、既存の利権に縛られない強力なリーダーを抜擢する必要がある。そして、リーダーは、「国民になぜ再編が必要か、そのための障害は何か、今何をすべきか」を説明しながら、一般国人を最大に支持者にし、強力に推進する必要がある。
とはいえ、これを強力に進めると、既存の医療業界から、大変な反発が起こるはずだ。その有力な論拠が、病院が憲法上認められている「営業の自由」に反するのではないかというもののはずだ。しかし、憲法は、「表現の自由」など、「精神的な自由」は絶対的なものとして強く保護する。しかし、「財産的自由」はこれと区別し、国人の理解が得られる限り、「公共の福祉」の必要があれば、合理的な範囲内で制限できるものである。
病院の再編は、国民の健康、生命の維持という「公共の福祉」のために必須のはずである。

 
2021−7月号:日本の医療体制の改革はトータル・ホスピタル・マネジメント・システムの構築が鍵!

1)改めて、「なぜ、患者数が少ないのに、医療崩壊が起こるのか?」

日本は患者数、死者数が欧米より一桁少ないのは、マスク使用を含め衛生意識徹底が最大の理由のようだ。要するに、国民の努力の成果である。ところが、それでも日本は医療崩壊が起こっている。しかも、病院数、ベッド数が他国に比べ突出して多いのに、日本でこのようなことが起こるのは、前回説明したとおり、医療体制が構造的に非効率的だからだ。
事実、ベッド数は突出して多いのにICUは弱体であり、人口比で米国の5分の1、ドイツの4分の1でしかない。このギャップは深刻に受け止めるべきである。ベッドが多くても同時に病院数も多く、その大部分が300ベッド数以下の中小病院なので、重篤な疾患に対する体制が極めて脆弱なのだ。
医療体制がこのように弱体なのに、これを補強する策が全くなかったので、悲劇が起きてしまったのだ。欧米諸国は、日常の体制が充実していても、コロナ危機に対しては、専門病棟の構築に全力を投入した。例えば1000ベッド級の中核病院全体をコロナ病床に充てるようなことは、各国でごく一般的に行われている。中国は、わずか10日間で、専門病棟をいくつも建ててしまったことは、周知のとおりである。要するに「選択と集中」をしなければ、医療資源を効果的に活用できないのだ。
日本では、全く逆で、協力要請をするだけで、コロナ対応の専門病院・病棟の構築努力などは皆無である。1000ベッド級のコロナ専門病院が一個あれば、日本中の重症患者全員を収容できる(2021年5月1日で、全国の重傷者1020人)ので、状況は一転するはずである。しかし、それができないので、患者数が一桁少なくても、医療崩壊が起こってしまうのだ。
なぜ日本では、「選択と集中」という緊急の対策が取れないのかは、前回検討したとおりである。

2)入院日数が長いことが何を意味するか?

日本の医療の特異な特徴には、もう一つある。それは、国際的にみると、日本の平均在院期間が突出して長いことだ。27日もある。欧米諸国は、いずれも10日以下であり、日本の長さが際立っている。ドイツ9日、アメリカ6日である
欧米諸国は、ベッド数の削減と入院日数短縮の努力を徹底している。なぜ、努力するかといえば、医療、介護のコスト削減のためである。どの国でも、医療、介護の充実が必須であるが、そのためには膨大に費用が掛かるので、医療資源の効率的な活用が必須なのだ。
日本では、平成29年度の国民医療費43.1兆円のうち、入院医療費は16.2兆円(構成割合37.6%)を占めている。そのあとに、入院外医療費14.6兆円(33.9%)、薬局調剤医療費7.8兆円(18.1%)、歯科診療医療費2.9兆円(6.7%)などが続く。これをみれば、入院医療費の効率化が重要なことがわかるが、そのための切り札は、入院日数の短縮である。
イギリスでは、王子の出産でも日帰りであり、退院の元気な母子の姿を披露するのが、恒例となっている。
フランスでは1990年代より20年間で10万床の病床を強制的に削減するとともに、平均在院日数は急性期の場合7日以内に圧縮させている。これを可能とするために、2004年からかかりつけ医の登録制を始め、9割の国民がかかりつけ医登録を行なっている。
病院数の削減、入院日数の削減を可能にするためには、かかりつけ医の体制構築を含め、医療機関の連携がいかに重要なのだ。

3)地域包括ケアシステムは機能しているのか

日本で、医療機関の連携のための努力といえば、「地域包括ケアシステム」であろう。
2005年の介護保険法改正で「地域包括ケアシステム」が登場した。これで、地域住民の介護や医療に関する相談窓口として「地域包括支援センター」の創設が打ち出された。
 その後2011年の同法改正で、自治体でこのシステムの構築が義務化された。2015年の同法改正では、地域包括ケアシステムの構築に向けた在宅医療と介護の連携推進、地域ケア会議の推進、新しい「介護予防・日常生活支援総合事業」の創設などが取り入れられ、内容が豊かとなった。
2014年に成立した「医療介護総合確保推進法」により医療法が改正され、都道府県が「地域医療構想の策定」を行うこととなった。患者の状態に応じた医療機能の分化・連携や在宅医療の充実等を推進し、地域にふさわしい医療提供体制を構築するためのプラットフォームを構築することが求められるわけである。
かような努力により、「地域包括ケアシステム」は確かに広く活用されるようになった。改革の理念も間違いではない。ただし、M&Aなどによる病院の統廃合は対象となっていない。病院数の削減、入院日数の削減、ベッドの削減に対しては、成果は上がっていないようだ。これでは、世界の流れに、とてもついていけない。
M&Aなどによる病院の統廃合により、病院、ベッドの効率的な活用を図ることを図らなければ、医療水の劣化は、避けることはできないし、財政赤字の拡大は抑えられないであろう。
さらに問題は、連携といっても、アナログでの連携である点である。電話やファックス、時には、患者が紹介状と資料を運ぶという体制である。世界は、システム化し、インターネットを駆使して、統合的システムを駆使している段階なのに、日本では、電子カルテさえ導入していなクリニックがゴロゴロおり、完全に出遅れている。
2017年に地域医療連携推進法人制度が創設された。この制度は、医療法人等が協力して地域医療を進めるために新たに法人を設立して、その傘下で活動しようという仕組みである。「
2017年に4法人、2018年に3法人、2019年に8法人が設立されている7。参加法人をみると、地方自治体、大学病院、老健や特養といった公的介護保険施設も含み参加者は幅広い。ただ、範囲は県でなく、人口数十万人市町村を想定しているようであり、「地域包括ケアシステム」に代わるものか、補完するものか、わかりずらい。
いずれにしても、ここでもM&Aなどによる病院の統廃合は対象となっていないし、アナログベースの改革である。この程度の改革では、日本の医療体制の脆弱性は、カバーできないであろう。

4)30年遅れのトータル・ホスピタル・マネジメント・システム

世界では、医療関連データのデジタル化が急速に進められた。これにより、電子カルテはもちろん、医療各部門のシステム化、医療会計、経営管理、サプライチェーン管理機能などのシステム化が急速に進められた。
さらに、現在は、これらのシステムを統合したソリューションである「トータル・ホスピタル・マネジメント・システム」の構築が進められている。そして、このシステムは、一機関を超えて各種病院、クリニック、介護施設などを広く統合したものとして活用することで大きな成果を上げている。要するに、日本の「地域包括ケアシステム」のような地域連携が、一つのトータル・ホスピタル・マネジメント・システム(統合医療運営システム)で、運用されているのだ。
近時は、AIの活用で、トータルシステムの機能向上は、目覚ましいものがある。人的資源、物的資源の運用を、AIの運用で最適化することも可能となっているのだ。
世界は、このような統合システムを積極的に導入し、医療・介護の効率化、質の向上を強力に図っており、これにより、医療費、介護費の圧縮を図っている。システム化、統合化は導入、運用費用を大幅に節減できるし、これをクラウドで運用することで、費用対効果は劇的にアップできる。
シンガポールなどは、医療、介護が、国全体で、一括管理されている。
ところが、日本では医療機関における電子カルテ導入率だけをとってみても、30数%にとどまっている。日本は、医療データのデジタル化、各部門のシステム化の意欲はきわめて希薄である。
電子カルテを入れても会計と連動しておらず、医師がパソコンに情報を入力しても患者は相変わらず会計に30分も待たされるなというような半端な導入例をよく耳にする。
オンライン診断がコロナ禍化の中でやっと認められたという段階であり、患者、クリニック、医療機関等をネットでつないだトータルシステムなど夢物語である。
また、電子カルテを導入すれば、看護師の業務も効率化されなければおかしい。例えば、看護師がタブレットを持ち、それを見れば「いつ誰に何をすべきか」がすぐわかるし、処置をすれば、看護記録は自動的に作成されるはずである。しかし、実際は、ナースステーションでパソコンにデータを再入力する必要があるなど、看護師の事務処理量が逆に増えてしまった、などという「喜劇」も耳にする。
日本の医療は、このようにシステム化が決定的に遅れ、1980年台にとどまった結果、世界からどんどん遅れている。これが、コロナの医療体制が容易に崩壊した根本的な原因であろう。

5)「トータル・ホスピタル・マネジメント・システム」の導入効果は?

電子カルテを導入すれば、患者のデータがデジタル化し、当該患者の過去、現在の治療経緯、検査結果などが、科目を超えて統合できることは当然である。
トータル・ホスピタル・マネジメント・システムでは、さらに医療各部門のシステム化、会計、経営管理、サプライチェーン管理などを1つのデータベースで統一管理を可能とすることは勿論、複数のクリニック、病院、介護施設等を1つのデータベースシステムでサポートし、グループ全体の情報を一元管理できる。要するに、日本で今実行している「地域包括ケアシステム」の全体を、一つの統合システムで、統合的に管理運営できるわけである。
ここで、もう少し具体的にトータル・ホスピタル・マネジメント・システムの機能を見てみよう。
まず挙げられるのは、早期退院を推進できることである。かかりつけ医の制度化が前提であるが、早期退院をさせても、ウエラブル端末で体調を管理し、体調が悪ければかかりつけ医と連携して対応できるので、入院しているのと同レベルの医療が受けられる。これにより、在院日数を劇的に減少させられるはずである。在院日数の過多は、医療費増加の元凶なので、トータル・ホスピタル・マネジメント・システムの導入は、日本にとり重要な課題である。
トータル・ホスピタル・マネジメント・システムの導入の成果は、看護師業務の視点から見ると、さらにわかりやすい。
例えば看護師にタブレットを持たせ、それを見れば医者の指示が反映され、いつどの患者に何をすべきかがすぐわかるようになる。また、AIを活用すれば、看護師個人の資質、能力も勘案しながら適正な配置・運営も可能となる。これにより、フロアーごとにあったナースステーションを一か所に集中することも可能となるなど、病院の運営管理の劇的な変革も目指せるはずである。
看護師が何らかの処置をすればそれがその場で記録できて、看護記録等の作成が自動的に作成される。看護師の業務から看護業務以外の無駄を省くということは、システム化の重要な目的である。
医薬品の投与も、バーコードなどを用いて処方から調剤・病棟への送付、投与が統合管理できる。業務が合理化できるだけでなく、投薬ミスを防止できる。実際に起きる医療インシデントの半数は投薬ミスといわれるので、効率化だけでなく、安全性も向上できる。
看護師の業務を分析すると、物を探すことでかなりの時間を取られているという。この場合も、バーコードを活用すれば、探す無駄も排除できるはずだ。手術のための備品の用意にも効果的なはずである。50分かかったのを10分にするような効果が期待できる。
医療機関は備品や資材の欠乏が許されないので、無駄なストックがつきものといわれる。しかし、トータル・ホスピタル・マネジメント・システムを導入すればバーコードなどの活用で、適正量の管理が可能となり、無駄なストックを排除できる。
リアルタイム臨床意思決定支援(CDS。クリニカル・ディシジョン・サポート)といわれるものがある。これは、医療従事者とオペレーションの意思決定を支援するものである。例えば、あらかじめ情報を設定しておくと、患者の状態が設定値を超えたとき、アラート表示して医師や看護師の意思決定を支援する。このような支援システムの構築も容易である。
病院全体のオペレーションや財務などの状況なども、リアルタイムで情報を提供できるので、トータル・ホスピタル・マネジメント・システムは経営支援の役割も期待できる。
ところで、医療情報については、高度なプライバシー保護が求められている。統合的な情報管理は、プライバシー管理についても、統合的な対策が可能となるので、効果的なはずである。

6)日本でシステム化が進まない根本的原因

日本で、トータル・ホスピタル・マネジメント・システムを導入する最大の問題点は、国産のシステムが皆無だという点である。電子カルテのメーカは多いが、そのシステムが、医療会計、経営管理、サプライチェーン管理機能などとの統合となると、効果的なものが乏しくなるのだ。しかし、電子カルテと会計ソフト等が統合さていないと、導入コストが嵩む。クラウドの活用が不十分なことも加わり、導入コストが高いことが、日本の医療機関がシステム導入に消極的となる重大な要因のようだ。
現在国内でトータル・ホスピタル・マネジメント・システムを導入しようとすると、オランダのフィリップ社製の「Tasy(タジー)」など、国外企業のシステムに頼らざるを得ないのが現実である。
さらに深刻なのは、IT技術者の欠如である。
端的に言えば、システム化については病院内に、IT技術者を雇用することが成功のカギである。なぜ?とびっくりするかも知れないが、この点の理解がないことが、日本でIT化が進まない根本的原因である。
IT会社に所属するIT技術者の数とユーザー側に所属するその数を比べると、ユーザー側はIT企業の半部である。ところが、世界的には、逆に、一般企業が2倍で、IT企業よりはるかに多い。
なぜかといえば、企業がシステム化するにあたっては、いかなるシステムが必要か、自ら検討する能力が必要だからだ。また、導入後の管理にプロが必要だし、システムは常にバージョンアックする必要があるが、そのための対応能力が必要である。さらに、他の法人や機関と統合するには、高度の専門的能力が必要である。これらを納入業者任せでは、効果的な対応ができないのである。
そもそもシステ導入すれば、人的組織は本質的に変わり、間接部門は人員が10分の1くらいになるはずである。ところが、日本企業では、システム化といえば既存の人的システムを前提に、各自のPCをつなぐことぐらいに認識しているものが多い。となると、システム導入時に納入業者がサポートしてくれれば十分ということになるし、IT技術者を雇用しても補助要員に過ぎないと思っている。しかし、本来は、企業をどのように運営すべきかの検討には、内部のIT技術者の役割は重要なはずである。ところが、日本でそのように認識しているものは少ない。
コロナ濃厚接触者アプリが半年以上機能していなかったことが明らかとなったが、その原因は、役所側にシステムのプロがおらず、業者に丸投げしていたことが原因であった。いかにも日本的な珍事である。みずほ銀行や東証のシステム障害の重要な要因も、ここにあるのではなかろうか。
以上を見れば、200床の中小病院でもトータル・ホスピタル・マネジメント・システムを導入するとなれば、間接部門の人員を10分の1に圧縮すると同時にIT技術者を雇用する必要があるのだ。
ところで、医療情報管理システム協会(HIMSS)という国際組織がある。「インフォメーション&テクノロジーITの応用を通じて、健康増進をリードするグローバルアドバイザーを目指している」とのことだ。現在、HIMSSには、世界中に8万人を超える個人会員と、650の法人会員、そして、480以上の非営利団体の会員数がいるという。日本でも、個人、法人の会員が相当数いるとのことである。これら会員の活躍を期待したいところである。

7)医療ビッグデータの活用は、胎動期

トータル・ホスピタル・マネジメント・システムは、医療に関するビッグデータを蓄積する。当該患者や施設のためだけではない。公共財として、治療方法の発展、医薬品の開発、医療機器の開発などに極めて効果的だ。
とはいえ、日本では、医療ビッグデータ活用はきわめて低調だ。たとば、国民皆保険制度の日本には、医療機関が健康保険組合に医療費を請求するために処置や処方薬の明細を示すレセプトがある。これは、きわめて貴重なデータである。だがこれを医療ビッグデータとして使うのは難しい。データの多くがデジタル化していないからだ。
コロナ戦争のなかで、データは保健所の中に集中したはずだ。しかし、このデータも、十分に活用されていない。保健所の業務はペーパーがベースで、連絡はFA]と電話だからだ。残念ながら、ここに集中したデータは、デジタル化しておらず、ビッグデータとしてAIで解析できないのだ。実にもったいないことである。
要するに、日本では医療機関がシステム化しておらず、ビッグデータを収集する前提がないのである。
ところが、日本では、2018年5月に次世代医療基盤法が施行された。
これにより、政府の認定した事業者が、病院や自治体、介護施設などの医療情報を集めて、匿名にして製薬会社などに提供できるようになった。団体ごとにバラバラに管理されていた医療情報を集約するため、患者の病歴や治療効果などを一括して分析がきることとなったのだ。
19年12月に京大教授らが主導する「ライフデータイニシアティブ」が第1号の認定業者となった。全国の大学病院などが参加する電子カルテシステムをベースとしているという。
これに続き、20年6月に全国の開業医らと連携する日本医師会医療情報管理機構も認定を受けた。自治体を巻き込んだ地域連携での活用事例創出を目指すという。
実際の活用としては、弘前市が注目される。青森県弘前市では地域で連携して医療ビッグデータの利用を推進するため関係団体との調整が進んでいるという。中核医療機関の一つに弘前大学病院があるので、実用性の高い研究も進むはずだ。
東京大学教授らが参加する匿名加工医療情報公正利用促進機構も認定を受ける準備を進めるとのことだ。
20年12月、米ファイザーァイザーと「ライフデータイニシアティブ」、NTTデータの3者が、医療ビッグデータを活用した研究を進めるため、「次世代医療基盤法」に基づく匿名加工医療情報提供に向けた契約を締結したと発表した。日本のがん患者のデータで医薬品の安全性や有効性を評価し、新薬の開発や実用化を加速させるとのことだ。
日本も、ビッグデータ先進国からは周回遅れで、医療ビッグデータ利用が始動したようだ。しかし、日本では、そもそも医療のデジタル化が進んであおらず、活用すべきビッグデータが乏しいというのが、正直な現状である。しかし、トータル・ホスピタル・マネジメント・システムが一般化すれば、日本中の医療機関から膨大なビッグデータが、研究機関、製薬会社に提供されるはずだ。

 
2021−10月号:自宅看取りの原則化と寝たきり老人の解消

1)膨大な国の財政赤字が意味するもの

日本の財政は1980年代の後半から赤字状態となり、それが抜本的な解決がなされることなく悪化して、コロナ前の日本の財政状態は、100兆円を超える国家予算に対し、税収は60兆程度であり、高度の財政赤字状態であった。しかも、累積した国の債務はGDPの二倍、1000兆円をかなり超えていた。コロナ禍のなかで、これが加速しているはずである。
この原因は、様々なものが考えられるが、労働生産性が低いことが重要な原因に一つであろう。日本人はまじめに働いているのに、労働生産性はアメリカの60%くらいである。産業構造が似ているドイツと比べても、ドイツ人は日本人の80%程度の時間しか働いていないのに、20%余分にGDPに貢献している。これではGDPも伸びず、税収も伸びない。
この原因は深く複雑であるが、その検討は他の機会に譲ろう。
もう一つの原因は、国民の負担はアメリカ並みに低いのに、求める国からのサービスは北欧の高度福祉国家を目指しているからである。
ちなみに、北欧の消費税は20〜25%であり高率である。日本の消費税10%は、アメリカの多くの州の水準である。このアメリカは、高度福祉の北欧とは逆で自助の国であり、小さな政府を目指している。例えば健康保険は、基本的には自分で加入する必要がある。オバマケアで低所得者には公的保険を用意しようとしたが、次のトランプ大統領がこれを目の敵にしたのは記憶に新しい。このように負担はアメリカ並みなのに、日本人は、北欧並みの高度福祉のサービスを要求ており。そこに無理があるのだ。
もう少し、詳しく見よう。
令和2年度一般会計予算(102 兆 6,580 億円)の内訳は、社会保障関係費が 35 兆 8,608 億 円であり、全体の36%を占める。その内訳は、年金給付費 12 兆 5,232 億円、医療給付費 12 兆 1,546 億円、介護給付費3兆 3,838 億円、少子化対策費3兆 387 億円、生活扶助等社会福祉費4兆 2,027 億円(保健衛生対策費 5,184 億円、雇用労災対策費 395 億円)となっている。社会福祉関係は、国家予算の36%を占め、医療と介護関係は、合わせて国家予算の16%を占める。
国民は、税金以外に健康保険と介護保険費を負担しているが、健康保険料の合計は約20兆円、介護保険料はその半額程度なので、国の予算をこのように相当程度投入しなければ医療と介護は成り立たないのである。
また日本の65歳以上の老人比率は世界最高首位順であり、対人口比で28.7%(2020年)である。ヨーロッパの多くが20%程度なので、日本の高さは突出しているし、今後も増加が続くはずである。
国が医療費や介護費の圧縮を求めてくるのは、やむを得ないところであろう。

2)なぜ、日本は高度福祉国家になれなかったのか?

北欧の高度福祉国家は、サービスを受ける市民が所得に応じて、平等、公平に税負担をしている。例えば、スウェーデンでは、消費税は25%と高率であるほか、国の所得税には累進課税があるものの、地方税にはそればない。だれも買い物金額や所得に応じた負担をしている。要するに、国民の大部分は、受けるサービスに相応する負担をしているのだ。
他方、日本は、消費税は10%に過ぎず、国の所得税にも地方税にも高度な累進課税が課されている。その結果、国民の70%以上のものが負担より多くのサービスを受けている。
前述のとおり日本の消費税10%は、アメリカの多くの州の平均値である。このように負担は自己責任のアメリカ並みなのに、日本人は北欧並みのサービスを求めており。そこに無理があるのだ。
北欧諸国は、50年代から60年代の戦後復興の中で「社会民主主義」を目指した。消費税を導入し、それを機軸に高度福祉国家を獲得することに成功した。
他方日本はそれに背を向けていた。55年体制のなかで社会党が、「税金は金持ちからとればいい」という基本コンセプトに徹底していた。端的に言えば、税金は払わずに、サービスという利益だけは欲しいという発想である。
そして日本は、財政赤字が顕著になった1989年になって初めて消費税を導入した。しかし、税率はその後アップしたものの、いまだにアメリカ並みである。北欧諸国の税率には程遠い状態である。
では、なぜ、北欧は、50〜60年代に高度福祉社会を実現できたのだろうか。
それは、社会契約である。「自分たちの社会がいいか悪いか、国がいいか悪いかは、自分たちの責任」と考え、国民の間での十分な議論をしたうえで、十分な理解と納得に基づき、高負担とともに高度福祉を実現したのだ。議論と十分な納得が、社会契約を実現させる原動力であるとともに、絶対条件である。
そして、社会契約の前提には、強い個人が必要である。「社会がよいか悪いかは、自分たちの責任」という個人の強い責任感が、その支えとなっている。
55年体制の時、日本では、前述のとおり社会党が、「税金は、お金持ちからとればいい」という基本コンセプトで徹底していた。これは、社会に対する責任感とは全く逆に、依存心そのものである。これでは社会契約などできるわけはない。
では、自民党はどうだったのだろうか。
ところで、「社会がよいか悪いか、国がよいか悪いかは自分たちの責任」という意識は、権利は国から与えられるのでなく、人として生まれれば当然に享受するという認識が前提である。これは天賦人権論と呼ばれる。ところが、日本の保守層は、そもそも天賦人権論が大嫌いである。権利は国が与えるものであり、権利を与える以上義務を負うべきで、国民が「社会がよいか悪いか、に責任を負うなどというのは、生意気だ、ということとなる。
2012年に自民党は、憲法改正草案を発表したが、そこでは、現行憲法の前提である天賦人権論を廃止し、権利は国が与えるものであり、権利を与える以上義務を負うべきとして、憲法12条をその旨改正している。まさに国家主義憲法をめざしているが、これでは、国民は国家に責任を負うのでなく、国が定めた義務を忠実に実行すべき存在だということになり、社会契約の基礎が存在しない。
この国家主義的憲法改正草案をみて野党が問題にしないのは、「社会がいいか悪いか、国がいいか悪いかの責任を負う」ということが嫌で、負担はせずに高福祉を得たいという55年体制の社会党からの意識から卒業できないからであろう。
要するに、55年体制時代だけでなく、現在においても、日本では社会契約は成り立ちそうもないようだ。
ところで、スウェーデン人は、長い冬が影響しているのだろうか、内気でシャイであり、家族や親友と親密な関係をつくので、外国人と親しくなるのが難しいなどといわれる。中庸を好み、横並び意識が強く上下関係に敏感などとも言われる。これらの特徴は、日本人と共通してそうだ。ところが、決定的な違いがある。彼らは個人が個人として独立し、強いのだ。
日本人のように、「和」が第一などと言って、互いに甘え依存し、議論するよりも、空気を読みあうようなことはしない。徹底した社会的な議論ができるのだ。その結果、社会契約を構築できるのだ。
となれば、共通する気質を有するスウェーデン人ができることは、日本人ができておかしくはない。社会契約ができるような、徹底した語論をすればよいのだ。

3)「寝たきり老人」がいない欧米−医療費を節約できる!

膨大な国の財政赤字の中では、その重要部分を占める医療や介護費を点検し、無駄な発生を抑制し、合理化することが重要となる。
そのためには、いかにして終末を迎えるべきかの議論が重要である。そこでまず検討したいのは、「寝たきり老人」の問題である。
コロナ対策で、スウェーデンでは「80歳以上の老人に対しては、人工呼吸器、エクモ治療をしない」と聞いてびっくりしたが、考えてみれば、スウェーデンでは、もともと原則として延命治療はしないので、これは当然の帰結である。別の言い方をすれば、スウェーデンには、そもそも「寝たきり老人」がいないのである。
日本では、コロナ治療に限らず、高齢者が終末期になると、点滴、径管栄養(鼻チューブ、胃ろう)で水分、栄養が補給される。苦しい痰の吸引、床ずれ、管を抜かないよう手を縛る。このような延命治療が当然視される。人工呼吸器を何年も続ける人も多い。点滴や尿道にカテーテルを入れるのは苦しく、ストレスから消化管出血も多いが、それよりも、延命が優先される。
この延命治療が、医療費、介護費がトータルで高額となる重要な要因となっている。
スウェーデンは、自力で飲み、食べるだけで看取り、それ以上のことをしない。脱水、低栄養でも、患者は苦しまないそうだし、これなら施設でなく、自宅で看取ることができる。
日本では誤嚥性肺炎を繰り返して死ぬことが多いが、スウェーデンでは、この前にこの世を去るのだ。
しかし、延命治療はしないが緩和治療は徹底する。スウェーデンに限らず、欧米では、がん以外の患者でも、モルヒネを使い痛みや苦しさを緩和させるのが一般だが、日本では、モルヒネを使うのは消極的だ。緩和よりも延命優先なのである。
欧米は、延命に消極的なだけでなく、自宅でこの世を去ることを理想としている。そのためには、介護も在宅で行うことをベストとしている。
ただ、これらを可能とするには、延命治療は本人が望むものでなく、本人の幸せにつながるものでないこと、また、支援を受けならでも自分のできることは自分ですることが本人にとり幸せであり、人間の尊厳に合致するという社会的合意が必要である。
日本ではそもそも、延命治療をすべきか否か、自宅でこの世を去ることを理想とすべきかなどの議論が極めて不徹底である。この点は、前述したとおり、高度福祉国家になるための議論が日本に存在しなかったことと同様である。
必要な議論ができなければ、理想の高度福祉は獲得できないであろう。

4)有料老人ホームの問題点−介護は家族か社会か?

スウェーデンでは、寝たきり老人がいないということは、そもそも施設に入ることを可能な限り避けるということも意味する。スウェーデンなどの高度福祉国家ではそもそも施設には自由に入れないのだ。
介護が必要となっても、まず在宅で訪問介護を受ける。自宅が不便であれば、介護のついた特別住宅に移る(日本のサービス付き高齢者住宅、サ高住にあたる)。そこは施設より住宅という認識である。
そして、このように介護や支援を受けてでも、可能な限り自力で生きるという生き方が、人間の尊厳に適した生き方であると考えられている。在宅介護が介護の原則とされているのだ。
しかも、施設よりも在宅介護のほうが医療費、介護費がトータルで安価ですむという認識もある。
食事や掃除や買い物を他人任せにすると老化が進むという説は、真実のようだ。老人ホーム依存は、全体的には、介護料が増加することを意味し、国の介護関係の支出増加、医療費の増加を招来することになるのだ。施設の入ることを可能な限り避け、かつ、延命治療をしないということは、国全体の医療費や介護費を圧縮できる。巨大な財政赤字を抱える日本は、この点を理解し、いかに医療や介護費を圧縮すべきかを真剣に議論をすべきであろう。
とはいえ、日本で在宅介護が基本という考えは難問である。北欧は、介護は社会がすべきという意識が強く、介護士という専門職の充実も迅速であったが、日本では、もともと介護は家族がすべきという考えが強かった。また老人に依存心が強く、周りも「かわいそう」という意識が働き、手伝ってやればよいのに代わりにやってしまうなど、過剰介護・支援に陥りやすい。しかも、介護士など第三者が関与することに抵抗感を感じることも多い。その結果、「面倒を見切れずに、老人ホームに早めに入れてしまう」という状況が起こりやすく、有料老人ホームが活況を呈するということになってしまうのだ。
スウェーデンなど北欧でも、家族や友人の介護は結構多い。しかしこれに対し、一定の要件を満たせば給料を払うし、研修の機会も与える。これを可能とするのは、「介護は社会がする」という意識が働くからであり、このような努力をすれば、老人は、在宅で人生の最後を迎えることができる。
日本で老人ホームが活況を呈する理由がもう一つある。ここは、食事、清掃、身体介護、リハビリなど、施設スタッフによる幅広いサービスが受けられる施設で、必要な費用等を支払えば容易に入所できる。それを見て、このイージーライフにあこがれ、恒常的は介護を必要としないのに入所を希望する者も結構いるし、自宅で訪問介護を受ければ十分な者も、気安く入所してしまう傾向が強い。
結局、今の日本では、老人介護は、老人ホームが原則的形態という認識が蔓延しているのだ。
しかし、「いかなる老後を過ごして、いかなる人生の終焉を迎えるのが理想か」というテーマを議論している北欧のような社会では、老人ホームが理想的という結論には至らないようだ。在宅介護がベストで、自宅でこの世を去るというのが理想というのが結論という。、
とはいえ、「いかなる人生の終焉を迎えるべきか」などを議論するのは、日本社会は大の苦手である。議論により、社会の方向が決まるなどということは、日本では、なかなか起こらないことである。これを克服するには、中学や高校時代から、議論をする訓練を積む必要があるはずだ。
最後に、付言すべき事項がある。それは、前回の本稿で解説した、「トータル・ホスピタル・マネージメント・システム」である。
在宅の老人本人の身体状況がネットで、かかりつけ医や病院の主治医、介護施設などと繋がっていれば、必要な医療、介護が的確、迅速に受けることができる。「トータルホスピタルマネージメントシステム」は、在宅医療・介護の質を向上させる決定となるはずだ。とはいえ、この導入が日本では、決定的に遅れていることは、その時説明した。。
日本の医療・介護の分野には、改善すべき課題、克服すべき問題点が山済みしているといえよう。

5)混迷する公的施設

自治体や社会福祉法人や病院が運営する「介護保険施設」には、特別養護老人ホーム(通称「特養」)、介護老人保健施設(通称「老健」)、介護医療院(介護療養型医療施設)の3種類がある。
「特養」は、要介護3以上の人しか入居できない。要介護3というと自力で立ち上がることや歩くことが難しく、認知症の症状が見られる場合があるなど、日常生活に介護が必要な状態である。このレベルとなると、多くのものは確かに施設を考えざるを得ないであろう。ただ、リハビリの充実などで在宅移行が可能か、試みる価値のあるものも多いはずである。
ただ、全国に29万人もの待機者がいるといわれている。このものの対処は、難問であろう。
「老健」の場合はリハビリテーションを必要とする要介護1以上の人を受け入れており、平均在所日数は1年未満とされている。施設対処者のリハビリは期待されるところだが、退所後の受け皿が充実していないと、特養までの時間稼ぎとなってしまうであろう。
ただ、在宅リハビリの体制を確立すれば、老健に頼らず在宅で対処できるものが増えるはずである。
そして、いま日本で重視されている施設に「介護医療院」がある。これは、療養病床をもつ病院のことで、65歳以上もしくは40歳以上で特定疾患などがあり、要介護認定を受けている人が療養する生活施設である。
医療と介護の両者が必要な患者には、このような病床が必要であるが、問題は、寝たきり老人を生み出す温床となりやすいことである。
事実、ここでは、医師が配置されているため、喀痰(かくたん)吸引や経管栄養など医療ニーズの高い要介護者にも対応できるが、これこそ、スウェーデンや高度福祉国で避けるべきとされている延命治療である。
また、介護医療院では要介護の高齢患者に対して、医療・介護だけでなく、生活の場を提供するのが特徴とされている。施設で生活の場を提供するくらいならば、在宅をまず考えるべきで、それを可能とする介護システムを考えるべきではなかろうか。
さてここで、介護医療院ができた背景を追ってみよう。
1980年代、病院に長期入院している高齢の患者のうち、「家族での介護が難しく、やむなく入院させている状態」、いわゆる「社会的入院」が問題視されるようになった。それを避けるため、まず1993年、第二次医療法改正により療養型病床群が創設された。
 療養型病床群とは、長期入院による医療提供の必要な患者のための施設である。
 その後、2000年に介護保険制度がスタートし、介護療養型医療施設が創設され、さらに2001年には療養型病床群が療養病床に再編された。
 療養病床は、医療の必要性に応じて「医療療養病床」と「介護療養病床」の2つに分けられた。ところが、実態は介護と医療が不明確なため、介護療養病床は廃止する方向となり、2006年、その受け皿として介護療養型老健が創設された。
厚生労働省は、介護療養病床に対して介護療養型老健への転換をすすめていたが、転換が進まず、そのため、介護療養病床は2012年度末での廃止予定を、2023年度末まで延長された。
これを受けて、介護療養病床の次の受け皿として2018年に創設されたのが、介護医療院である。介護医療院にはT型・U型がある。
 T型は、比較的重度の要介護者に対して医療ケアを提供する介護療養病床であり、U型は要介護者の家庭復帰をリハビリなどでサポートするものである。
1型は、特養と同じく、寝たきり老人の温床にならないことが望まれる。U型は、老健と同じく、退院後の受け皿が充実していないと、結局1型に行かざるを得ないことになる。
ここで注目していいのは、これらとは別に居住部分と医療機関を併設した医療外付け型があることである。医療外付け型は、「比較的容体が安定した者」を主な利用者としていて、居住部分は個室で13u以上と有料老人ホームと同等の広さとされている。これは、在宅ケアの重要性が認識された結果であり、望ましい傾向である。広く活用されることが望まれる。
ただ、運用上可能な限り自立した生活ができることを目指すべきである。
ここで、公的施設に関して総括すれば、やはり日本では、人はいかにこの世を去るのが理想的かの議論が不十分なため、制度が混迷し、受け皿となるべき在宅介護との連携が不明確だということである。その結果、寝たきり老人が増加する恐れがあることを忘れてはならないであろう。

6)認知症の扱いが難問

介護の中で認知症は難問である。どこの国でも、なかなか正解が得られない部分である。体力的には自立した生活が可能であるにも関わらず、認知機能の障害から、自分に対してだけでなく第三者に対しても危険を招来するからである。
認知症のためには、グループホームがある。介護スタッフないし支援者の協力を得ながら共同生活をするので、在宅介護と同様の状況を確保できる。ただ、共同生活に向いたものには効果的であるが、共同生活が苦手なものも少なくなく、万能でない。
認知症の介護としては、常に付き添って支援するのが理想とされるが、介護士が日常つくとも不可能であるし、家族が常に見張るのも事実上期待できない。そこで、この問題を浮かびあげた裁判所の判例があるので検討しよう。
2007年、愛知県大府市での出来事であるが、認知症で徘徊中の男性(当時91)が列車にはねられて死亡した事故が起きた。その後JR東海が家族に監督義務違反があるとして約720万円の損害賠償を求めて訴訟を起こした。
一審の名古屋地裁判決は妻と長男に請求全額の賠償を命じ、二審の名古屋高裁判決は妻に約360万円の賠償を命じ、長男については棄却した。
上告審判決で、最高裁第三小法廷(岡部喜代子裁判長)は、2016年3月1日、妻(93)と長男(65)は監督義務者にあたらず賠償責任はないと結論づけ、JR東海が逆転敗訴となった。
民法714条は、責任能力がない人の賠償責任を「監督義務者」が負うと定めており、JR東海は、男性と同居して介護を担っていた妻と、当時横浜市に住みながら男性の介護に関わってきた長男に賠償を求めた。
裁判所では、重い認知症の人に対し家族が監督義務者に当たるのかが争われた。
最高裁は介護する家族に監督者として賠償責任があるかは生活状況などを総合的に考慮して決めるべきだとする初めての判断を示し、そのうえで、民法では「夫婦には互いに協力する義務がある」と定めているが、「夫婦の扶助の義務は抽象的なものだ」として妻の監督義務を否定し、長男についても監督義務者に当たる法的根拠はないとした。
一方で、監督義務者に当たらなくても、日常生活での関わり方によっては、家族が「監督義務者に準じる立場」として責任を負う場合もあると指摘し、生活状況や介護の実態などを総合的に考慮して判断すべきだ、との基準を初めて示した。
今回のケースでは、妻自身も当時85歳で要介護1の認定を受けていたほか、長男は横浜在住で20年近く同居していなかったことなどから「準じる立場」にも該当しないとしたものである。
結論は5人の裁判官の全員一致。ただ、うち2人は、長男は「監督義務者に準じる立場」に当たるが、義務を怠らなかったため責任は免れるとの意見を述べた。
最高裁が最終的には責任を認めなかったからよかったものの、一審や二審のように責任を認めると、認知症に対しては、家族としてはとても責任は負えないとして、認知症の老人を施設にどんどん隔離するという風潮を増長することとなろう。
また、少数意見のように、同居しておらず、かつ、遠隔地に住む息子を「監督義務者に準じる」などと判断するのは、介護は社会が負担すべきという認識に欠けているというべきである。
これは、日本の介護保険が、40歳になってから保険料の支払いが開始するという制度設計とも重なる。ドイツなど介護保険があるところは、今ある社会は、老人たちの努力の結晶であるのでそれに報いるべきであるという「敬老精神」を前提に、20歳から保険料の負担が始まるのを当然視する。これは、「市民一人一人が、社会がよいか悪いかの責任を負う」という意識と同じ平面にある。
「介護は社会が責任を負う」というのは、成熟した民主主義社会では当然であろう。
さて、ここで、本論に戻ろう。いずれにしても、徘徊をする認知症患者を自宅においておくと、介護は大変である。スウェーデンでは、認知症患者にGPSを持たせたうえ、付き添いはつけないということをかなり広く行っているようだ。ただ、今回のような線路への侵入などは、GPSでは防げない。
認知症の扱いは、できるだけ自立して生活させるということを前提に、介護、支援の方法をさらに研究すべきであろう。
2021年度以降は、介護に直接携わる職員の中で医療・福祉関係の資格を有さない人については、「認知症介護基礎研修」の受講が義務化された。認知症介護の特殊性が認識されたかであるが、医療・福祉関係の資格を有している人は対象外というのは残念である。
認知者の扱いは発展途上である。その扱いを十分研究したうえ、その成果を医療・福祉関係の資格を有する者に対しても共有させる講習会等の制度は必須であろう。

 
2022−1月号:M&Aで地域医療体制の構築

1)初めにーなぜ、M&Aで地域医療体制の構築か?

近時は医療機関のM&Aが盛んであり、私自身も携わることが多い。ただ、その目的の大部分は経営力の拡大であり、地域の医療提携体制の構築を目指すものはまれである。しかし、日本の医療の現状から言えば、M&Aで最も期待されるのは、それにより地域医療体制を構築することである。
本シリーズの(1)〜(3)で説明したとおり、日本は、人口比でのベッド数 病院数は世界で断トツのトップであるが、医師、看護師は、先進国の平均以下である。
すなわち、100〜200ベッド数の中小病院が乱立しており、医療資源が効率よく活用されていない。これでは、物的資源だけでなく、人材の活用に無駄が多く、待遇の充実 教育、訓練が充実しないのだ。
今の医療は検査が重要であり、また、治療機器の高度化が進んでいる。ところが、日本では、医療機器への投資が非効率で、その結果、高度な機器が活用できない状況である。例えば、どこの病院もCTを導入しようとするので、対人口のCTは世界で断トツにトップであるが、それで、余力がなくなり、結局市民は、高度な医療を受ける機会が妨げられることとなる。
これでは、医療費がかさむし、市民は高度な医療を受けられない。そして、コロナ禍の中で、患者数、死者が欧米より一桁少ないにもかかわらず、医療崩壊が起こってしまったのだ。M&Aによる医療機関の集約化が求められるのは当然である。
また、日本は、入院日数は世界で断トツである。これは、医療体制の非効率だけでなく、老人が増えている中で、介護と医療の協働、役割分担がうまくいかない、つまり病院の老人ホーム化を雄弁に物語っている。
以上を俯瞰すれば、地域医療体制の構築は必須のはずである。
ところで、世界は、本シリーズの(2)で詳述した通り、トータル・ホスピタル・マネージメント・システムをいかに活用するかの時代となっている。つまり、在宅患者、診療所、かかりつけ医、地域の中核病院、専門病院がネットでつながり、かつ、AIで最適化を図ることにより、医療費の圧縮と医療の高度化を両立させようとしている。
これらが介護とつながれば、病院が老人ホーム化することも防ぐことが期待できる。
しかしながら、日本はいまだに電子カルテも導入していない医療機関が残っているなど、個々の医療機関レベルでもIT化が遅れており、医療機関をネットでつなげるというDX(digital transformation))化など、夢物語である。
とはいえ、医療体制で世界から周回遅れの日本としては、地域医療体制構築のなかで、トータル・ホスピタル・マネージメント・システムを導入することも,果敢に挑戦してほしいものである。

2)なぜ医療行政は地域医療体制が構築できないのか?

本シリーズ(2)で説明したとおり、日本では、2011年の介護保険法改正で地域包括ケアシステムを自治体で策定することが義務化され、2014年には、医療法改正で、都道府県単位で、「地域医療体制構想の構築」が義務付けられた。これらにより患者の状態に応じた、医療機関の分化・提携、在宅医療の充実等が求められることとなった。
さらに厚労省は、医療機関の提携だけでなく、市町村などが運営する公立病院と日本赤十字社などが運営する公的病院の25%超にあたる全国424の病院について「再編統合について特に議論が必要」とする分析をまとめ、病院名を公表している。要するに、これらの病院は、早く再編しろというわけである。
厚労省はこれに加え、民間病院に対しても再編を求めている。すなわち各都道府県に対し、地域の医療計画をつくる地域内の病院などと協議しながら対応方針を決めるよう求め、病院の統合や病床数の削減、診療機能の縮小などを25年までに終えるよう要請しているのである。
しかしながら、端的に言えばこれらに多くの期待はできない。なぜなら、自治体、公立病院、民間病院のいずれも、再編の必要を十分医理解していないし、仮に理解していても、どのようなコンセプトで再編すべきか、具体的にどうすべきかが十分に議論されておらず、実行に移る前提が欠落しているからである。
かような状況下で現実的なのは、先見の明のある病院経営者が、まず実行することである。そして、それを見て、他も追随するというのが早そうだ。
そこで、期待される再編の方向を考えてみよう。
まず、中小の民間病院、公立病院を統合し、400〜500床の地域の中核病院と専門病院にまとめ上げるのが基本だろう。地域で中核病院がいくつ必要かは人口動態で決まる。また、専門病院は、他地域との連携も必要であろう。
中核都市では、1000床の中核病院も欲しいし、全国的には、4000床レベルの病院も必要である。世界の最先端の医療を受けさせるため、世界レベルでは、このような巨大病院が必要なことは、本シリーズ(1)、(2)で説明した。
クリニックを「かかりつけ医」として育てることや、検査専門のクリニックを設け、検査機器をシェアすることも同時に必要であろう。
世界は、前述のとおり、医療機関の統合のベースとして、トータル・ホスピタル・マネージメント・システムをいかに活用するかの時代となっている。ネットでつなぎ、患者情報を共有し、高度な医療サービスの提供を実現している。この点は、本シリーズの(2)で詳述した。
日本でも世界レベルの、トータル・ホスピタル・マネージメント・システム構築を、医療体制の構築の中に組み込んでほしいものである。これも、先進的な病院経営者がまず挑戦してほしいものである。

3)医療法人のM&Aの手法は極めて特異!

ここで、医療法人のM&Aの手法を検討しよう。
株式会社では、株式の売買が最も基本的なM&Aの手法である。大部分の医療法人は社団法人であり、そのうちのの93%には出資持分があるので、大部分の医療法人のM&Aは、この持分の売買で行われ、手法は基本的には株式会社と同じである。
医療法人では、一部は財団であり、この場合は、もともと持ち分がなく、持分の売買では譲渡はできないので、後述のとおり、役員の承継で行われる。
ところで、医療法で医療法人は配当ができないことになっているので、経営を続けていると、資産が積み上がって持分の価格も増加し、相続の時に相続税が巨額となり、困る例が頻発している。
また、医療法人は公益法人として扱われるべきという考えも高まり、平成19年の医療法改正で、持分のあるものは新たに設立できなくなるとともに、既存の法人も持分なき法人へ移行することが求められることとなった。しかし、移行に期限はなく、移行のスピードは緩慢であり、今でも大部分の医療法人は持分を有するものである。
医療法人の出資持分には持分割合があり、その点も株式会社と共通する。ただ、株式会社では株主は株主総会で株数に応じた議決権を有し、取締役の選任等の権限を有するが、医療法人は異なる。医療法人では、株主に当たる社員が社員総会を構成して人事等の重要事項を決定するものの、社員が持分権者とは限らず、逆に持分権者が社員とは限らない。さらに、社員の議決権は一社員一個であり、社員の権限は持分の有無や持分割合とは連動していないことに注意する必要がある。
では、持分がない医療法人では、M&Aはどうするかであるが、基本的には、理事、理事長、監事、社員の交代、承継による。退職には、退職金が伴うので、それがM&Aの対価の役割を果たすこととなる。
医療法人では、MS法人(MSはmedical serviceの略)が付属していることが多く、ここが不動産等の資産を有していたり、病院の取引を経由させたり、医療スタッフを派遣したりしている。医療法人のM&AではこのMS法人の随伴が普通である、通常株式会社なので、これについては、事業会社のM&Aそのものとして株式の売却で行われる。
さらに、M&Aは、合併、分割で行われることも多い。医療法人のM&Aの場合でも活用されるが、ことに地域医療体制の構築のためには、合併・分割が活用されるはずである。地域医療体制の構築の基本は病院の集約、規模の拡大であるが、そのためには、合併、分割が必要だからである。
合併・分割は、同一種類の法人間でのみ可能なので、医療法人社団と財団間では不可であり、また、社会福祉法人と医療法人間でも不可である。
医療法人内には、複数の病院があることも多いが、この時、一病院のみを譲渡したいときには注意する必要がある。病院の譲渡は、事業譲渡としてはできないからである。なぜなら、ベッドを失ってしまうからである。すなわち、ベッドは、医療法人ごとに割り振られているので、法人の枠を超えた病院の移転にはベッドが伴わない。前述のとおり、日本のベッドは過剰であり、できるだけ削減するのが現在の政策である。そのため、譲渡先で、このベッドを復活させて取得することもできないからである。
医療法人内の病院の一つだけ移転したいときは、この部分を分割して切り離し、これを譲渡することとなる。そのため医療法人の分割手続きが必要となるわけである。この時、分割と合併を同時にすることも可能である。この手法であれば、法人としては、継続しているので、ベッドが失われることも避けることができる。
法人化していない個人経営のクリニック、病院も結構あるが、この場合は、注意を要する。すなわち、個人経営の場合、ベッドが個人に割り当てられているので、ベッドを譲渡先に移行できない。そのため、ベッドを有する限り、いったん法人化してからM&Aを実行することとなる。法人成りの場合は、ベッドが個人から法人へ移行されるので、この法人をM&Aで譲渡すればよいからである。
ベッドを有しないクリニックだけは事業譲渡によりM&Aを実行できるが、個人経営のクリニックでもベッドを有する場合(20床未満であれば、クリニックでもベッドを持てる)では、法人化を先行する必要があるのだ。

4)出資持分なき医療法人は誰が支配するのか?

持分がないと、医療法人を開設するために出資しても、それを権利として確保しておくことができない。法人を支配するには理事長や理事など人事権を把握しておく以外に手段はなく、また、それが限界である。これは、学校法人と同じ状況である。つまり、医療法人は、公益法人化とされるのが、今の流れである。
その結果、持分のない医療法人のM&Aでは、買収者は役員の退職金を負担して人事を支配すれば支配権を取得できる。他方、医療法人の出資者側(売り手側)は投資額を回収できない。そのため、買収後も院長として残り、理事の一人として残留して(院長は理事である必要がある)、M&A後の報酬で事実上回収することも多い。
また、前述のMS法人に多くの資産を保有させて、この株式の売価代金で出資金の回収を図ることも多い。
買収側は、M&Aで支配権を確保するには、このように人事権を確保するが必要であるが、そのためには人材を確保しておくことが重要となる。ただ、M&Aを進めていくと、その点で苦労することが多いようだ。
例えば、理事長は医者でなければいけないのか、で悩むことも多い。
医療法上は医師である必要はなく、まだ多くはないが、医師でない優秀な病院経営者も見かける。諸外国では、医療と経営は別物として、医師でない経営者が活躍するのはむしろ普通である。
ただ、日本では、「医者は医者の言うことしか聞かない」という危惧はよく耳にする。しかし、病院の再編が期待される現在、医師にこだわらずに、優秀な経営者が活躍してほしいものである。
なお、株式会社も病院を所有できるか聞かれることも多いが、それは可能である。出資持分は法人も所有できるし、役員を送り込めれば、医療法人を支配できるからである。現に、事業会社である介護事業者が病院を所有する例も多い。介護と医療は連携すべきなので、これからも増えるはずである。
ただ、株式会社が医療法人を支配する場合、医療よりも利益優先になる危険性はありうる。この弊害を回避するには、医療側と経営側の活発で透明なコミュニケーションが不可欠であろう。

5)医療法人の持ち分の価格はどう算出するか?

現在大部分の医療法人は持分のある医療社団法人であるが、この持分の評価は、原則的には株式会社の株式の評価と同様である。
すなわち、まず市場価格をベースとするマーケットアプローチがある。また、利益をベースとするインカムアプローチがある。代表例はEBITDA(税引き前利益に支払い利息、償却費を加えたもの)をベースとするものである。さらに、最も活用されるものにネットアセットアプローチ(コストアプローチ)がある。これは、純資産をベースにするもので、これに将来の収益性を「暖簾」として加えることが多い。暖簾は、例えば営業利益の5年分とするものである。
企業価値の算出となれば公認会計士の仕事であるが、病院の価値算出は事業会社と異なる点も多く、病院に評価に実績のあるものに頼めればベストである。
また、都内だと土地価値が高く、アセットアプローチだとびっくりする価格となってしまうことがある。この場合は、他の算出法での価格を考慮して、検討すべきであろう。
ところで、今は、ベッド一床1000万円 200床だと20億円というような相場感があるのも事実である。これは、前述のとおり日本ではベッドが過剰で、今後は削減する政策が予想さるので、ベッドの既得権を確保することが至上命令だからであろう。もちろん、専門家による評価を勘案したうえで、最終的な判断をすることとなろう。
さて、ここで、持分なき場合を思い出してほしい。この場合は、持分の買い取りが無く、M&Aの対価は、役員の退職金に限られることとなる(これを超えると、受け取るものは一時所得となり、支払う法人側では、支払いが経費とならないことに注意すべきである)。
その結果持分の有無で、買収額が大きく異なってしまう。ただ、これは、やむをえないであろう。
病院はもともと利益の配当ができないが、持分なき場合は、法人が解散しても残余財産は、国庫に帰属してしまう。つまり、いったん出資すると回収の余地はなく、医療法人は公益法人化するのだ。出資を回収するということに無理があるのだ。
とはいえ、開設者は自分の出資を回収したいと思うのも理解できる。そのためには、退職金が高くなるよう報酬をあらかじめ高めに設定しておくとか、M&S法人の株式価格が高めになるよう対処しておくなどの対策が必要となる。あるいは、前述のとおり、買収後も役員や顧問で残留し、買収後の収入でカバーするなどの工夫が必要であろう。

6)最大の実務ポイントーM&Aは誰に頼めばよいか?

M&Aの仲介業者は山ほどいる。病院を経営していれば、彼らから何らかのアプローチがあったのではなかろうか。しかし、その業者は玉石混合である。
まず、知っておくくべきは、M&Aの仲介業者には、ライセンスが要らないということである。業法も無いし監督官庁もない。不動産仲介には宅地建物取引業というライセンスが必要であり、営業所ごとに取引主任者を置かなければならないというような制約もあるが、M&Aには、ライセンスは不要で、特別の規制もない。不動産よりも高度なチェックポイントがある法人の取引には特別の規制がないのである。したがって、誰に頼むかはM&Aの成否に大きな影響をあたえることを知っておくべきである。
また、病院のM&Aは上述のとおり、一般企業のM&Aとは異なる点が多く、それゆえ、この分野に経験の深い仲介業者に依頼することが必要である。また、M&Aの仲介業者には上場している大手も数社あるが、必ずしも医療法人に力を入れているわけではないことも知っておくべきである。
依頼するには、以上の状況を理解し、適任者かどうか、常に客観的に見定めることが必要であろう。
さらに、依頼するにあたっては利益相反に注意すべきである。仲介業者は、売主と買主の両者から依頼を受けたがる。両者から成功報酬を受け取れるからである。ただ、これだと一方だけの利益を図ることができず、利益相反になりやすい。
理想は、売り手、買い手がそれぞれ仲介者を持つことであるが、それでも、依頼企業の利益よりも、成約優先となることも避けきれない。
M&Aを考えるものは、売り手側でも、買い手側でも、誰に仲介を依頼するかも含め、最初から弁護士に相談しながら進めることがベストであるが、M&Aの実務に精通した弁護士が僅少であることが、最大の問題であろう。

7)M&Aの手続きはどう進むか?

M&Aの手続きは、法令で決まっているわけではないので、ここでは一般的な流れで、説明しよう。実際は、これを簡略することも多いが、そのリスクは、専ら買い手が負うこととなることに注意すべきである。
さて、M&Aは、仲介業者等を通し、候補者を確保することから始まる。この場合、一社に限らず数社と交渉できることが望まれる。
ここでまずは、持分の譲渡の場合を説明しよう。
買い手は、秘密保持契約を締結して売り手から財務諸表を含む関係書類を受け取り、これらを検討する。そして必要な物件調査等をしたうえで、買ってもいいと判断すれば基本契約を締結する。これは一種の売買予約であり、一定の条件で撤退できるような契約タイプとなるのが普通である。この時点で、売買価格も決められている。さらに、この前後で、買い手、売り手双方は、理事会、取締役会の承諾を得ることとなる。
基本契約締結後、買い手は、専門家によるデューデリジェンスを実行する。財務関係では、財務諸表を裏付ける帳票類の検討もなされる。そのうえで、最終的に買ってもよいと判断すれば、本契約を提携する。
そして、最後に代金の支払い、引き渡し、登記、都道府県知事への届け出等、譲渡の実行手続きをする。これをクロージングという。
さて次に合併を説明しよう。地域医療体制の構築のためには、合併を駆使して、規模の拡大を目指すことが望まれる。
合併には、一方が存続し他方が解散する吸収合併と、新会社を設立し両者が解散する新設合併があるが、大部分は前者である。手続きが簡略だからである。
いずれにしても、当該医療法人の総社員の同意と理事の3分の2以上の同意を得なければならない。
財団たる医療法人にあっては、寄附行為に吸収合併又は新設合併をすることができる旨の定めがある場合に限り合併をすることができる。
次に関係書類の検討、基本契約、デューデリジェンス、そして本契約となるが、この流れは、持分譲渡と基本的に変わりはない。
医療法人の合併、分割には、都道府県知事の認可が必要であるが、その認可の通知のあった日から2週間以内に、債権者保護のために、その時点における 財産目録及び貸借対照表を作成するとともに、債権者に対し、「異議があれば一定の期間内に述べるべき旨」を 公告し、かつ、判明している債権者に対しては、各別にこれを催告しなければならない。ここでの「一定の期間」は、2月以上とされる。異議を出されると、これに対し、返済するか、または必要な担保を立てることとなる。そして、この債権者保護手続きが完了すると、合併登記ができることとなる。
分割の場合は、手続きとしては、合併手続きに準じられるが、さらに、労働契約承継法が準用され、労働者への通知、協議、異議申出手続等を経る必要があり、法人側としては、ここで出てくる労働者の意思を尊重する必要 があると定められている(労働者が手続きのストップをかけられるわけではない)。

8)自動運転と地域医療体制

病院の統合などといえば、病院が遠くなり、老人は困るのではないかという危惧が生じるであろう。過疎地はもちろん、都市部でも、この危惧は深刻なはずである。自治体が病院の統合などを打ちだせば、住民から猛反発が出ることは必至で、だからこそ、自治体は地域医療体制案が出せないでいるのだ。
ただ、これに対しては、呼べば玄関先まで迎えに来て、病院まで運んでくれる小型の自動運転車のシステムを構築すれば、解決する。自動運転であれば、コストも小さく、24時間対応できる。もちろん、買い物等、他の目的に活用できる。
世界的には、技術的に人間よりも安全に運転できる能力を獲得している企業は、いくつもある。グーグルのアルファベートやGMだけではない。ただ、日本にはそのレベルの技術を持つ企業はないというのが、現実である。したがって、国外技術に頼らなければならないだけでなく、道交法等の改正も必要で、何事につけ、容易には変われない日本では、ハードルが高いのが実情である。
しかし、自動運転レベル5のドライバーレスの自動運転に実装は、世界中で始まっているので、早く世界の流れに追いついてもらいものである。地域医療の実現には、どうしても欲しい技術である。
とはいえ、日本でも、先進的な地域では、勇敢な試みが始まっている。例えば、茨城県境町や京丹後市などは、自動運転車を導入し、かなりの実績を上げている。これらは、自動運転としては、レベル2で、オペレーターが同乗しているが、果敢に挑戦していることは称賛されるべきである。
日本全体で、このような挑戦ができるようになってほしいものである。

 
2022−7月号:病院が介護・リハビリに積極関与すべき時代の到来!

1)医療が介護・リハビリもカバーする時代

日本は現在老人比率が29.1%と世界最高であり、かつ、今後、2040年ころまで増え続けるといわれる。老人の医療、介護の質の向上は、日本社会にとって優先度の高い重要課題である。
今、病院の内科系の病床の多くは、老人の長期入院者に占められている。老人は、それまで自宅で自立生活ができたのに、いったん入院すると急速に生活力が低下することが多く、自立生活が不可能となることもまれではない。退院したら「寝たきり」というケースも頻発している。
これらを防ぐには、老人には治療中でも介護、リハビリを施し、治療が終了しても医師、看護師等の管理下で、介護、リハビリを充実させる必要がある。そのためには、医療と介護の連携はもちろん、医療法人が介護、リハビリ要員を雇用し、さらに、介護施設を併設するなどが期待される。それにより、社会内で自立できる老人を増やし、国全体の医療費、介護費の圧縮を目指せるはずである。
ところで、医療法人が介護関係の会社をグループ内で保有するのはいいとして、介護施設を医療法人内で保有することに法的障害がないか、と問われたことがある。しかし、それは特に問題はない。
医療法人は、医業(病院、診療所又は介護老人保健施設《老健》の運営)のほか、医療法第42条各号に掲げる保健衛生や社会福祉等に関する附帯業務を行うことができる。例えば同条第6号の「保健衛生に関する業務」については 介護保険法にいう介護予防サービス事業が広く含まれるし、高齢者の居住の安全確保に関する法律に規定するサービス付き高齢者向け住宅(いわゆるサ高住) の設置も行うことができる。
ただ、不動産賃貸業を含む場合については、医療法人の非営利性から疑問が残るが、少なくとも、社会医療法人の認定(運営が公益性を担保するための要件を満たすことが必要)を受けた医療法人は、収益業務を行うことができるため、全く問題はない。従って、居住部分を賃貸するタイプの老人ホームも設置可能である。
以上からすれば、医療法人はその中にほとんどの種類の介護施設を保有できることとなる。
なお、医療法人による特別養護老人ホームの設置は、老人福祉法上不可である。
また、医療法人は株式会社と合併できない。法人の種類が異なるからである。したがって、介護系の会社を買収してグループ内に取り込むのはいいが、法人内に取り込みたい場合は、法人自体でなく事業だけの譲渡を受けることになる。
医療法人が介護分野に進出するときに注意すべきことがある。それは、優秀な経営者を確保することである。介護分野は、病院の経営とは質的に異なるノウハウと能力を必要とする。買収先の経営者が優秀でかつ継続して経営に当たれる場合は問題がないが、そうでない場合は、別個に確保すべき場合が多いであろう。

2)持分なき医療法人は介護分野に進出すべき!

現在、医療法人は、「持分あり」から、「持分無し」への移行が求められている。
医療法人の大部分は社団法人であり、その内の大部分は、出資持分の制度がある。持分は、病院開設の時に出資した者が、その出資額に対応して取得するもので、株式会社の株式にあたる。しかし、株式会社と違って配当が禁止されているので、開設後、医療業務に励み実績を積むと、内部留保が積みあがり、それに比例して持分の価値も増加する。そのため、相続が開始すると課税対象が巨大化しているので、相続税の支払いが困難となる例が多発している。
また、そもそも、医療法人は、可能な限り公益法人として扱われるべきであり、その立場からは、持分制度はあるべきでないこととなる。
これらの理由から「持分無し」への移行が進められているのである。
しかし、持分がなくなると、出資者は出資持分の売却で出資を回収することができず、理事報酬や医療従事者給与として受け取る以外に、回収は不可能となる。
その結果、事業意欲のあるものは他の医療法人を買収して支配法人を拡大するという現象が増えている。これ自体は悪くはないが、同時に介護分野に進出することも重要な選択肢の一つとして考えてほしいものである。
ただ、介護分野はほとんどが株式会社であり、医療法人の経営とはかなり異なる。しかし、医師は従来からMS法人(MはMedical ,SはService)という株式会社を活用しており、これが病院の土地、建物、機器などを所有して病院に貸したり、ここを通じて機器や資材、医薬品等を購入したり、人材を派遣したりしている。したがって、医師、医療法人にとって介護施設運営は、全く畑違いではないはずである。
また、医療法人に付属する施設として、従来から介護老人保健施設(老健)がある。老健は、入所者100人に一人以上の常勤医師が必要であり、医療が介護にかかわる典型例である。老健の経営を通じて、医療関係者には介護施設経営の経験の蓄積があるはずである。
さらに、医療分野から介護分野にかかわることには、メリットも多い。介護に医療の基礎があることは、その質の向上にとって重要であり、医療法人が所有する介護施設は信用力が高く、入居者確保、スタッフ確保に好都合なはずである。

3)持分がない医療法人のM&Aの買収

M&Aにおいては、出資持分を有する医療法人であれば、持分の買い取りをすればよいが、出資持分の無い医療法人では、手法が全く異なる。
持分が無いので持分の買い取りはなく、理事と社員の交代で実行する。つまり、必要な退職金を支払ってこれらのものに退職してもらうこととなる。
医療法人は理事のほかに社員がいて、社員総会で理事、監事の選任、解任を行う。人事権は社員総会にあるのだ。したがって、理事のほか社員の交代も必要なのである。
退職金は買い手でなく医療法人が支払うので、買い手としては、退職金の支払い分だけ資産の減少した法人を買収することとなる。この減少分が対価の支払いに対応する。仮に、法人に支払い能力がなければ、買い手が法人に貸し付けをしなければならないこととなる
以上からすれば、創業者(開設者)としては、譲渡の対価は退職金だけということとなるが、持分なき医療法人となれば、それは公益法人化したことを意味するので、やむを得ない結果である。
なお、退職金として税務署が認める額を超える金額を支払うと贈与税の問題が生じるので注意を要する。そのため、創業者の功績の評価のため、例えば、名誉理事長等として残留して理事報酬を終身受け取り、また、退任するときに改めて退職金を受け取るような例は多い。

4)介護医療院を目指す医療法人の増加を期待する!

前述のとおり、病院の内科系の病床は、その多くを老人が占めているが、そこで、介護とリハビリが効果的になされているとは言えないのが現実である。そのため、本来社会復帰できるはずなのに、退院後は、特別養護老人ホーム(特養)か老人ホームに行かざるを得ないというケースが多発している。これでは、医療、介護費用が効果的に使われているとは言えないであろう。
従来、病院には医療療養病床と介護療養病床がある。前者は医療保険、後者は介護保険の対象である。これは、医療の必要性の高い患者と低い患者での区分であるが、厚労省の実態調査の結果では、医療療養病床と介護療養病床とで入院患者の状況に大きな差が見られなかったという。
そのため、医療保険制度改革の中で、医療費総額抑制を主張する経済財政諮問会議の意見を受け、患者の状態に応じた療養病床の再編成が決められた。それによれば、介護療養病床をH23 年度末までに廃止するとともに、介護療養型医療施設の新しい受け皿として「介護医療院」が創設された。実際、介護医療院はすでに2018年4月からスタートしており、現在、介護療養型医療施設から順次介護医療院への移行がおこなわれている。
この改革を端的にいえば、入院患者を可能な限り介護・リハビリ中心の処遇に移し、医療保険の対象から外そうということである。介護保険の対象となっても医療がベースで、病院やクリニックが運営書体である。そのため、「インスリン注射」や「痰の吸引」、「経管栄養」などの医療処置に対応できることになっている。
厚労省の説明では、これらの改革は、老健施設等への転換促進を前提という。
確かに、もともと介護老人保健施設(老健)がある。これは、介護を必要とする高齢者に対して介護サービスやリハビリなどを提供し、自宅復帰への支援を行う施設である。あくまでも、老健は医療をベースに、回復、社会婦復帰を目指すので、病院やクリニックが運営書体である。とはいえ、現在、老健は開設数が限られており、社会復帰のステップとして十分に機能しているとは思えない。介護医療院自体が効果的に運用されることが強く期待されるところである。
ところで、介護医療院にはT型・U型・医療外付け型の3種類が存在する。
I型・II型に共通している点は、要介護認定を受けている要介護1〜5までの人が利用できるという点である。I型は比較的重度の要介護者を対象にしており、医療ケアを提供する介護療養型医療施設と同等である。U型は、原則介護度3以上が対象で、利用者の家庭復帰をリハビリなどを通してサポートする介護老人保健施設(老健)と同等の扱いとなっている。 このU型が活用されれば、従来の老健と合わせて、社会復帰の効果的なステップとなろう。
3つ目の医療外付け型の施設は、利用者が居住する部分に医療機関が併設されている形態である。これは、医療の積極的バックアップのある老人ホームといえよう。医療機関が老人ホームを買収すれば、このタイプとなろう。今後はこのタイプの老人ホームが増えるはずだし、増えてほしいものである。
いずれにしても介護医療院では、痰の吸引、胃ろう、経鼻栄養、酸素吸入といった医学的管理下でのケアが充実しているだけでなく、介護士、機能訓練指導員によるリハビリテーションがあり、さらに、掃除や洗濯、買い物やレクリエーションといった生活援助系サービスのほか、レクリエーションやイベントといったプログラムが取り入れられてることも期待できる。
とはいえ、医師や看護師などの医療スタッフは、介護やリハビリに対する認識、ノウハウが必ずしも十分でないことは、よく耳にする。介護医療院が十分機能にするためには、医療スタッフの介護、リハビリに関する研修等も検討されるべきであろう。
いずれにしても、医療機関か主催する老人ケアとして、介護医療院が将来のスタンダードに なるはずである。
最後に付言すると、独立行政法人福祉医療機構というものがある。かっての社会福祉・医療事業団であり、ここで現在介護医療院への移行を支援するための政策を実施している。介護医療院への転換に必要な建築費用などを融資する制度や、病院又は診療所から介護医療院等への移行を行う際に必要となる運転資金の融資などを用意しているとのことだ。

5)介護業者の企業価値の評価は様々

これからは医療法人が介護業者を買収するケースは増えるし、それは望ましいことである。その場合に重要となるのが、介護業者に対する企業評価である。
そこで、まず、私が関わったケースをベースに、介護企業の企業価値評価を検討してみよう。
A社は、首都圏に37施設所有する中規模、中堅の介護業者である。
売り上げ100億円、営業利益4500万円、純利益4900万円
資産43.4億円、負債38.8億円、長期借入金6.7億円、純資産4.6億円
入居一時金12.8億円、減価償却費4.8億円
資産として、不動産がない。つまり、施設は、賃貸で開設している。

売り手は、これを見て、EBITDA(Earnings Before Interest Taxes Depreciation and Amortizationの略。「税引き前利益+減価償却費」という経済指標。実際の実務では、「営業利益+減価償却費」として扱われることが多く、本稿ではこれで処理する)べースで考えて、EBITDAは5,3億円、今後このパフォーマンスを10年続けることができると想定、30%の実効税率分を控除して、企業価値は約37億と考えた。
 4500万+4.8億=5.25億
 5.25億×10×(1マイナス0.3)=36.75億

そこで、37億円で買わないかと買取希望者に提案した。
この提案でテーブルに着くのは、積極経営をするタイプの経営者である。資産は重視せず、将来の経営状況を想定し、自分も現在のパフォーマンスを最低10年間は維持できる自信があれば、37億円の提案は検討の余地があると考えるのだ。
EBITDAベースの企業評価は、設備投資等のキャッシュの出入りを横におき、設備投資は将来の収益増加という形で回収できればよいと考え、純粋に事業活動だけに視点を特化させた指標である。
他方、A社は不動産を持たないタイプなので、資産ベースでの安定性を重視する経営者は、EBITDAベースでは企業評価をせず、資産ベース(ネット・アセット・アプローチ)で企業価値を算出するのが普通である。資産ベースで企業価値を算出する方法には様々なものがあるが、実務でよく使われる手法は、純資産に将来の収益力を「暖簾」として加える方法である。
「暖簾」は営業利益の5年分くらいを考えることが多く、本件では、営業利益は4500万円なので「暖簾」は、2.25億円となる。
 4500万×5=2.25億
純資産は簿価ベースで4.6億円なので、企業価値は7億円にも届かないことになる。
 2.25億+4.6憶=6.85億
従って、とても37億円という提案には乗れないということとなる。
資産ベースで考える方法は、清算するときに意味がある。配分すべき資産が確保できるからである。このような考えの経営者は施設を増やすより、あるものをじっくり経営し、収益性を向上させようと努力する。うまくいかなければ清算をすればよいと考える。このような経営姿勢は、不動産があることが重要で、借り入れも、この不動産を担保化することが前提となる。となれば、不動産のないA社は、この点でも魅力がないこととなる。
しかし、EBITDAベースで経営を考える積極経営の経営者は清算を考えず、不動産は買わずに借りて、施設数を増やそうとする。同時に、非効率な施設は売却する。「5増やせば、3売却」というような経営戦略で、収益性を高めるということになる。施設数を増やすには、自力で増やすより、M&Aを活用したほうが早いということで、M&Aを積極的に活用することとなる。また、うまくいかなければ、売却を考えればいいというわけである。
経営姿勢の違いにより、同じ企業についても、価値は大きく変わるのである。
さらに、買い手によっては、施設を1か所開設するのに土地・建物以外に1〜2億円かかるので、A社は37施設保有していることから、その価値は37億円以上と考える。自ら開設する場合の手間と時間を考えれば、このような経営者にとっては、本件は安い買い物であろう。
ところで、企業経営していれば経営に行き詰まることもある。ただ、老人ホームの場合、民事再生法の申請は愚策である。入居者の行き場がなくなり、路頭に迷うこととなるからである。採用すべきは第二会社方式である
第二会社方式では、スポンサーを確保して新会社を設立し、ここに事業譲渡して旧法人は、破産で清算する。債務は旧会社においていくので、事業の譲渡代金が配当財源となる。入居者との契約関係は譲渡される事業の一部であり、入居一時金は新会社に承継されるので、入居者の地位はそのまま維持されるわけである。
ところが、仮に民意再生法の申請をすると、入居一時金は大幅カットされ、老後の設計は大幅に狂ってしまう。避けるべき方法であることは当然である。
ただ、民事再生法を申請することはできても、第二会社方式をリードできる弁護士は少ない。スポンサーを確保するノウハウ、つまりM&Aの買い手を確保するノウハウが無いからである。そのため、悲劇が発生することとなるが困ったことである。

6)入居一時金有りの老人ホームの企業価値評価には財務諸表の修正が必要

サービス付き有料老人ホームでは、入居時に「入所一時金」を、「前払金」、「預り金」などの名目で支払うことが多い。金額は、数十万円から数百万円、さらに2000万円、あるいはそれ以上もある。実は、その場合、企業価値の実態と財務諸表上の数値が乖離しているという深刻な問題が存在する。
前述のA社の例で、B社が買収を考え、37億円の売買価格で買うとのことで基本契約を結び、デューデリジェンスに入った。ところが、担当の会計事務所より、粉飾が発見されたとして、
純売上6.4億円の減、入居一時金は26.4億円の増、営業利益8.4億の減とせざるを得ず、大幅赤字である。減価償却費4.8億を加えても、EBITDAベースで、企業価値はマイナスとなる
 4500万円−8.4億+4.8億=−3.15億

との報告が上がってきた。
理由は、入居者から預かっている入居一時金の会計処理にあった。入居一時金は受領後一定の条件で償却される約定となっている。
多くの場合、その10%ないし20%は初期償却され。その余は5年間で、定額、または定率で償却される。短期で退所(死亡、解約)すれば、未償却部分は返還されるが、償却されれば返金はない。そして、会計処理としては償却特約に合わせ、売り上げとして計上する、つまり、分割計上する。
ところが、「A社は、分割計上せずに、一時金を取得後、それを一括して全額売り上げに計上していた。その結果、営業利益がマイナスのはずなのに、黒字として計上することとなった。つまり粉飾していた」との説明であった。
これに対し、A社は強く反発した。「入居一時金を預かっても、それを預金して確保する義務はない。全額売り上げ扱いで運営に使っても違法ではないし、他の業者でそうしているところは多い」というのであった。
しかし、公認会計士としては、「入居一時金を受け取っても売り上げとは計上せず、預り金として計上し、返還されずに償却時期が来て初めて償却分を売り上げとして計上すべき」と考えたのであった。
理由は、老人福祉法にある。その29条8項では、「有料老人ホームの設置者は、家賃、敷金及び介護等その他の日常生活上必要な便宜の供与の対価として受領する費用を除くほか、権利金その他の金品を受領してはならない」とある。
「入居一時金が権利金であればその対価として売り上げとして一括計上できるが、権利金として扱えないので、「預り金」として計上すべき」というのが公認会計士であった。
ところが、A社といては、「受け取った一時金を預金する義務はないし、実際に、売り上げとして運営に使っているので、一括会計のほうが実態に合うし、それに基づく企業評価のほうが実態に奏し、より正確なはずだ」と考えているわけである。
確かに一括計上は会計学的には粉飾決済となるが、違法ではないし禁止されていない。この点でA社の主張に間違いはない。また、税務署も問題視しない。一括計上のほうが、税収は大きいからである。
そして、M&Aの場合、企業価値は実態に合ったものが望ましいのは当然で、A社が採用している一括計上のほうがベッターである。むしろ、会計士が正しいとする分割計上をしている場合には、分割計上の財務諸表を修正しないと、実態に合った企業価値の評価ができないこととなる。
要するに、公認会計士が適正とする会計処理の結果では実態のあった企業評価ができず、逆に粉飾と断言される会計処理のほうが正しい企業価値を表すという奇妙な結果となるが、これが真実なのである。
ところで、償却前の入居一時金が預金されずに運営に使われていると、入居者が退去するときに会社の経営状態が悪い場合、未償却分の入居一時金の返還を求めても返還されない可能性が出てくる。
それに備えて、入居者保護には保全措置が用意されている。それは、老人ホームが倒産し入居一時金の未償却部分が返還されないとき、ホームに代わって銀行や損害保険会社、公益社団法人有料老人ホーム協会等が500万円を上限として未償却の金額を支払う制度である。特別高額な入居一時金でない限り、かなり効果的に、リカバーされそうである。
これに加え、公益社団法人有料老人ホーム協会では、「入居者生活保証制度」という制度を設けている。これは、事業者の万一の倒産などにより、ホームから全入居者が退去せざるを得なくなり、入居者から契約が解除された場合に、登録された入居者へ500万円の保証金を協会から支払う制度である。この保全制度の最大の特徴は、入居一時金の償却の有無に関係なく、損害賠償の予定額として一律500万円が保証される制度となっている。「全入居者が退去」という縛りはあるが、かなり期待できる保証制度である。

7)最後に

現在まで医療改革は様々な形で求められているが、その都度変わることを嫌う医師会の強い反対に会い、頓挫するか、中途半端な変更で終わってしまうことが多い。また、厚労省の医療部門には、その専門性からか、政府の意向が十分に行き渡らず、改革が進まないのも現実である。
しかしこれでは医療の質的向上は望めないし、医療費の圧縮が図れない。関係者のそれぞれの立場での努力が望まれるところである。

 

M&A・事業再生の弁護士-金子・福山法律事務所